Marthas Play

映像制作とガーデニングが大好きだよ(∩❛ڡ❛∩)

まあさはあそぶ

ウィザードリィというゲーム ユーザーのイマジネーションにゲームが委ねられていた頃。

最近メディアの制作技術について考えていた時、なぜか何度も頭に浮かぶゲームがありました。それはすごく昔のゲームで30年以上も前に制作され、RPG、アクションゲームの元祖ともゆうべき土台を作ったウィザードリィというゲーム。

 

今のゲーム制作のような3Dが主流ではなく、いくつかの簡単なテキストコマンド、申し訳程度のパラメーターと「モンスターの絵」だけであとはすべて真っ黒のグラフィックデザインというゲーム。舞台はただひたすら地下迷宮のダンジョン。@ 'ェ' @

 

ドラクエファイナルファンタジーなどのグラフィカルなギミックに慣れ親しんだ僕にとってこのゲームを初めてやってみた時はとても衝撃的だったのを記憶しています。(*^_^*)

 

初めてやった時はあまりのシンプルさ、画面全体がほぼ真っ黒というなにかダークなものを感じさせるグラフィックに唖然として、なんだこのゲームは、という感じでした。ところがこのゲーム、一度やり始めるとたしかにものすごく面白い。この時、なんでこんなシンプル極まりないゲームに引き込まれるようなものがあるのだろう、と不思議に思っていました。

 

けれどもこのゲームをやったことがある人ならわかると思うのですがこのゲームの面白さはユーザーのイマジネーションを掻き立てるいう所に魅力があり、これによってユーザーは自らの想像力を膨らませることによってまさにRPGの醍醐味が味わえるようになっていました。

 

で、ここからなんですが例えばゲームというメディアの場合、「作り手側とユーザー側はもうこの段階に引き返すという事はできない」という事であり、もうすでにリアルタイムで2D、3Dのグラフィカル要素満載のゲームが続々手元に来ている限り後戻りはできないし、こういった要素を捨てることもできない、という事なのでしょうね。(⌒-⌒; )

 

もちろん、こういったメディア、例えばゲームで当時遊んだ人にとってはその時代やその年代の思い出もあり、それはそれで本当にすばらしい事だと僕もやはり痛感します。ただその一方で新しいゲームを追求していかなければ結局はユーザーも飽きてしまい、しかもそれでいて制作者、開発会社も競合に疲れ果て、資金も体力も疲弊し結局自分たちで首を絞める結果にもなるますし、すでにそうなってしまっているのはたぶん、現にゲームというメディアを利用しているユーザーの人達自身がもうそんな事は知っている。という事ですよね。

 

最近、いよいよそんなところまできたか、というニュースをWebで見ました。アメリカのゲーム会社が開発した「destiny」というゲームが開発費、宣伝費で5億ドル、日本円で500億円かけて製作し、しかも販売初日の売り上げで500億を回収したという話です。

 

僕はこのゲームをやったことはありませんし、ゲーム製作にも関わったことはありませんが相当の人件費と開発環境のためのマシン、ソフトウェア、ツール選び、開発環境作りにに大規模な投資が必要なのでしょう。               

 

すでにこういった事もニュースなどでは流れていたりしますが僕は「そんなギャンブル性があまりにも高すぎる環境の中で影響を受ければ、マネジメントも開発者も健全なクリエイティビティが発揮できなくなってしまうのでは」と思ってしまいます。

 

一つのゲームに200,300人規模で関わっていればクリエイティブに働きたい、と思っている方にとってはもはや仕事としての面白みは全くないと僕は思います。というより実際ゲーム製作の現場の方たちがそう話している訳ですしね。やはりこういった大規模開発の状態ではなかなか新しいゲーム作りにはチャレンジできない、という事なのかもしれません。

 

ちょっと長くなりすぎたので一旦ここできります(^_^:)